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JAL乗務員のイジメ方ー分析(2) 1999年6月17日、JAL女性乗務員のイジメ 私は、JALに手紙を出し、電話をかけた。 JALは、激慢な態度で一貫していたが、結局、韓国の建設交通部長官 の印が押された警告状をもらってからは、急いでJAL本社の幹部職員 Mr.AriizumiとMr.Ogataをソウルに派遣した。 事件発生後、3ヶ月が過ぎてやっと現場調査に出向いたのだった。 9月16日の夜7時30分から10時10分まで、朝鮮ホテルのコヒーショップで 2時間40分間、JAL女性乗務員の横暴について、JALソウル支店の 総務課L部長、JAL本社のMr.AriizumiとMr.Ogata、そして、 私が依頼した通訳の前で、私は事件の詳細について十分説明した。 当時の状況を再現しながら、私は、あの日の怒りを鮮明に思い出した ソウル支店のL部長は、私の言葉を懸命に書き取り、Mr.Ariizumiと Mr.Ogataに通訳した。 私の座席は3列、後ろから3番目だった。(絵で黒く塗った所。) 飛行機の前側 搭乗ロ cロ ロ ■ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ ロ aロ ロ bロ ロ ロ ロ ロ 台所 飛行機が安定すると、JALの乗務員は後尾の台所から、食事を積んだ カートを押して、一番前に行き、前の方の乗客からお弁当を配り始めた。 この時、私はテーブルを開き、順番を待っていた。 ちょっと年配の大きい顔をした乗務員が私の方の通路(A)の3列(1列、 2列、3列)を担当していた。私の番になったが、その乗務員は食事を 配らず、カートを押して私の横を通り過ぎた。 通路(B)を担当したもう一人の乗務員は4列(4列、5列、6列、7列)に 食事を配った。その乗務員はあっという間に4列の乗務員にお弁当を 配った。 *この二つのカートの大きさは全く同じである。 1分40秒が過ぎても、そのままだったので、はじめて後ろを振り返ると、 台所よりの1列の2人、2列の2人、3列に2人、そして私と全部で7人が まだ食事が配らず、待っていた。 台所の方には、カートも乗務員も見えない。 1分程度過ぎてからもう一度後ろを振り返ると、1列の最後に(a)一人が お弁当を広げていた。カートも乗務員ももちろん見えなかった。 まるで、天から落ちたようかのように。。。。 50秒ほど経って、私は3回目後ろに振り向いた。 3列の最後に座った(b)が食事をはじめていた。<まるで鬼ごっこのように、 鬼が見ない間に素早く動くゲームをJALのその乗務員は楽しんでいるのだった。> カートも乗務員も見えない。 振り向く度に後ろの乗客と目が合ってしまうのもなんだし、首も疲れ るので、前を向いたまま乗務員が食事を待ってきてくれるのをひたずら 待っていた。 2分10秒ぐらい経ってから、もう一度振り向くと、私を除いて全員が 楽しそうに食事をしていた。 依然としてカートも乗務員も見えない。 私は内心、私だけ残っているからもうすぐ食事持ってきてくれるだろうと 思って、そのまま正面を向いていた。時間が経てもお弁当を持ってきて くれないのでこの時から、ちょっと嫌な予感がした。 なぜ、間をおいて、一人ずつ食事を配っているのだろうか。。。 とにかく、その乗務員は正常的に仕事をしていないことに気づいた。 *では、ここで一旦話を止めて、分析をしてみよう。 (JALの大きい顔の女性の陳述は後から明らかにします。) 1。カートの大きさは同じなのに、通路(B)の方はお弁当が不足せず 一気に食事を配り終えた。 2。通路(A)の大きい顔の乗務員は、3列だけを担当したのに、7人分の お弁当が足りなかった。 3。通路(A)の大顔の乗務員が3列だけを担当したのも計画的だと思う。 なぜなら、私の右側にいた乗客は日本人で、私一人を残すためには、 隣の 障害物(?)は処理しなければならない。 5。私を除いて6人に食事を送られて配りながら、どの国の言葉でも 「すみません」と謝る声は全然聞こえなかった 6。私の視野からよく見えない座席から先に食事を配った。 <私が振り向く時の視野> 7。大顔の乗務員は、じっくりと時間と努力をかけて、イジメの楽しさを 満喫していた。 9月16日 「私の陳述より」 OkHee Kim つづく。。。
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